アレクセイの危機


「ええっ?! 出かけちゃったんですか?」
トーチ・ポートの酒場兼宿屋、<赤目の船乗り亭>に困ったような声が響く。
「ああ、さっき依頼を受けたとかでね。 あんたのお仲間のユーヌとか、デカい剣とか、グラムとか、魔術師のにいちゃんとかね。」
「そんなぁ。」
「なんだい、置いてけぼりかい? なさけない声を出すんじゃないよ。…あんた、男なんだろ?」
「も、もちろんです!」
店主であるドワーフの女性、ガーラに確認するように言われた事で、つい声が大きくなっただろうか。
居心地が悪そうに酒場を後にする。

おそらく数日後に控えた旅立ちを前に、ぎりぎりの日程で準備をしているウィンシーを巻き込むわけにもいかない。
「ふんだ。1人で十分よ。」
すねたように呟きつつ町の門をくぐり、門前市を抜けると、行く手の地平線と右手の水平線が広がる。
夏の強い日差しが照りつけるが、海風が心地良かった。
目的地の村までは、歩いてもほんの半日の道のりだし、街道の治安も良いと聞いている。

なにより、孤児院に入れられてからの集団生活の中では旅をする機会も無く、いくつかの冒険をこなした今でも新鮮に思えた。
ふと、商人だった両親の馬車に揺られて旅をしていた子供の頃の微かな記憶が浮かぶ。
その両親も、兄や自分を置いてどこかへいってしまった。
兄は、両親を探すのだと孤児院を飛び出したまま行方が知れない。
だが幸いにして孤児院の院長も、友人たちも良くしてくれたおかげで、そうした境遇を恨んだ事は無い。−少なくとも、物心がついてからは。

やがて日が傾き、海からの風が冷たさを帯びてくる頃、街道の先、丘の陰から喧騒が聞こえてきた。
「まだ村じゃない、よね?」
耳を澄ます。
微かに聞こえる金属を撃ち交わす音。
女性の悲鳴。 荒々しい、男たちの怒号。
何者かが、旅人を襲っているのに違いない。
「ハイローニアスよ、ご加護を!」
短く唱えると剣を抜き、駆け出した。

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ぽとり、ぽとりと洞窟の天井から冷たい水が滴り落ちる。
それらは岩の床のあちこちに小さな水溜りをつくり、囚われている者達の衣服をぬらす。
だが、深い絶望に打ちひしがれた彼らは、その不快感に顔をゆがめるよりも、自らの運命を呪うことで精一杯であるようだ。
離れた牢にとらえられた女たちのすすり泣きも聞こえてくる。

丘の向こうでは、商人の馬車が襲われていた。
野盗の数は多く、30人はいただろうか。
商人の一行も数名の護衛を立てていたようだが、数の差は如何ともしがたかった。
たとえそこにアレクセイが加わろうとも。

彼女は神の加護を得て護衛とともに奮戦したものの、最後には商人の家族や女達を盾に取られ、降参せざるを得なかったのだ。
もてる呪文の殆どを使い果たした今、非力な彼女に出来る事は少ない。
だが、絶望はしていない。
なにか、方法があるはずだ。
こんな時、仲間ならばどうしただろうか。

−「ま、オレならばそんなドジは踏まんがね。」
注意深く、抜け目の無いユーヌならばもっと賢く立ち回れたかもしれない。

−「野盗相手に負けるわけがなかろう。」
そう、ドワーフの屈強な戦士であるグラムがいれば。

−「まぁ、なんとかなりますよ。」
ゼルギウスならば、決して悲観的になる事はないだろう。

−「世間のゴミは焼却しちゃいなさい。」
ウィンシーならば何とかした後の事を考えそうだ。

−「…」
バーンならば、ムスッとしつつも脱出の機会をうかがうに違いない。
そう、自分の仲間ならば、誰一人、こんなところであきらめたりはしない。

「あんたも、バカなことをしたよな。」
不意に、向かい合って囚われている男が口を開く。 たしか護衛の一人だったか。
彼は戦局が不利とみるや、真っ先に逃げ出そうとしていたが、結局つかまってしまったようだ。

「ハイローニアスの神官様だかなんだか知らないが、下手な正義感を振り回していると痛い目を見るって事がわかっただろう?」
暗闇に慣れた目を声の主に向ける。
微かに差し込む月明かりが、男の砂色の髪を照らし出している。
年齢は20歳前後だろうか。

「あんた、俺たちから感謝されているとでも思っているのか? ああ、あそこで助かっていたら感謝していたさ。 だがあんたは役立たずだ。 あっさり人質まで取られやがって。 格好よく現れて、謝礼でも狙っていたのかもしれないが、アテがはずれたな。 小僧。」
男はなおも悪態をつき続けたが、返事をする気にはなれなかった。
それよりも、女たちのすすり泣きが悲鳴に変わり始めているのが気になる。

「品定めでもする気なんだろう。 女たちは高く売れるからな。 お前も女を買った事があるならわかるかもしれないが、ああいうところの女はこうして遠い町から売られてきた奴等も多いのさ。」
様子を察した男が説明する。

「仕事が無いときには、結構いい稼ぎになるんだぜ。」
「なっ…!」
男の言葉の意味するところに、思わず嫌悪の表情が浮かぶ。

女たちの悲鳴はいっそう大きくなっている。
「助けなきゃ!」
鉄格子の扉に肩から体当たりをするが、びくともしない。
むしろ盛大な音を立ててしまったことで、牢番達が顔を見せる。
「ずいぶん、元気のいい奴がいるじゃないか。」
痛めた肩をおさえるアレクセイを牢番の持つ松明の光が照らし出す。
「おや、暗くて気づかなかったが…ハイローニアスの神官様はずいぶん綺麗な顔をしてるじゃねぇか。」
「こいつ、男の格好なんかしてるけど女じゃねぇか?」
「どっちにしても高く売れるさ。」

牢内を照らす松明の光が、あきらめきった表情の男達を照らし出す。
先ほどまで話をしていた男は、深い青色の瞳に皮肉な笑みを浮かべている。
牢から引きずり出されながら、アレクセイは何か懐かしいものを見た気がした。

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