星空の下に一人〜マリカの旅立ち〜
(文・イラスト:ぷらなりあ)


「ふふふふふふふふふふふふ〜〜ふん♪ふふふふふふふ〜〜ん♪」
 初夏のある日……。
 一人の少女が楽しそうに鼻歌を歌いながら革紐を作っている。
 若草色の丈夫そうなチュニックとフスタを身に付け、急所を中心に固めた革鎧で身を覆ったその少女は、背が低く身体も薄いが、艶やかなツインテールに纏められたライトブラウンの髪やくりくりと大きいカーマインの瞳、そして高く澄んだ声など、年齢不相応のツルペタにさえ目をつぶれば文句なしの美少女である。
 足元に置かれた使い込まれたリュートを見ると吟遊詩人かなにかを職業にしているようにも見えるが、腰のレイピアや「七つ道具」は少女が戦闘技術と手練の技を身に付けたローグであることを物語っている。
 ともあれ。
 彼女はまず、よくなめした獣の革の表面と裏面を磨いて毛と脂肪のカスを取り除き、厚い革を巻いた伸し棒で丹念に叩き伸ばし、厚さと柔らかさが均一になるように加工していく。
 革の下準備が済んだら平らな板の上にそれをぴんと張り、丁寧に細く切る。
 基本技術は素人の域を出ていないようなので業は拙いが相当に手馴れている事だけは間違いない。
 さらに彼女は時間をかけた丁寧な作業と、内なる美に対するこだわりの心(なにしろシェーリン様は〈製作〉も時折助けてくれるのだ!)で技術のなさをカバーしているようだ。
 出来た革紐を何度も手で伸ばし、一方に罠もやい結びで輪を作っているところをみると、初歩的なくくり罠を作っているように思える。
 人間が引っ掛かるような上等なものではないが、仕掛ける位置さえ間違いなければ小型動物には通用するだろう。

 ……フォールクレストから、ネンティア川を北に下って行った郊外にもいくつかの耕作地が点在している。
 朝から晩まで働き詰めに働かなければならない自分の土地を持てない貧農、農奴らは安全な街中に住む事は難しく、おっつけ自分が働いている農地の近くのわずかな土地を借りてそこに住むほかはない。
 そんな古く朽ちかけた、一軒のあばら家の庭先にその娘、マリカ・アルセイドはいた。

     ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「ご苦労さま、マリカ」
「母さん……」
 毛皮一枚をすっかり革紐に加工し、くくり罠のパーツを作り終えた時には空はすっかり朱に染まるような時間になっていた。
 マリカが仕事を終えた様子を見計らっておずおずと声をかけてきたのはマリカの母であった。
 かつてはたいそう美しかったという話だが、まだ50にはなってないはずだがすっかり髪は白くなり、長年の重労働が刻みつけた刻印と相まってもっとずっと年嵩のように見える。
 そしてマリカ同様背が低いので、ぱっと見の印象はもうすっかり貧相なおばあさんだ。
「その……」
 昔の母の態度は、もっとはきはきしていたような気がする。
 彼女が何が言いたいか、マリカにはもうわかっていた。
 マリカが家を出て外で暮らすようになって以後、たまに帰ってくると母はいつも同じことを言う。
「……久しぶりだし、ご飯食べて行く?」
 ……これが、おっかなびっくり尋ねる事なのだろうか?
 初めてこうたずねられた時は能天気に「食べて行く」と答えたものだ。
 しかしその時母が見せた複雑そうな表情を、マリカは忘れられない。
 その表情の理由は、実際に食卓に着いた時すぐに分かった。
 マリカの存在に不満そうな兄嫁の顔。
 明らかに少ない一人あたりの食事。
 口減らしに街に出た、なのに売られて家に金を入れたわけでもない末娘に食べさせる食料は、本当はなかったのだ。
 それ以来、彼女は実家で食事する事を諦めた。
 今日マリカは市場で見つけた年老いて投げ売りされていたロバと、ロバの背いっぱいの大麦などの食料を持ってきていたので遠慮する事はない、とは思う。
 だが、それとて兄嫁は面白くないかもしれないし、そうなれば板挟みになるのは母なのだ。
 13歳の時、マリカは狩人をやっている次兄を頼って家を出た。
 手先が器用なので「手伝わないか」と誘われた事もあったが、運の悪い姉たちのように趣味の悪い貴族の屋敷や娼館に売り飛ばされるのは嫌だったからだ。
 その時母や長兄はすぐに賛成してくれたが、いつも小金を欲しがっている父や長兄を尻に敷いている兄嫁は渋い顔をしたものだ。
 特に父は身体つきこそ貧弱だが容姿に恵まれた末娘は「金になる」と常々思っていたらしく、いまだにマリカの顔を見れば未練たらしい表情を浮かべる。
 次兄の下も離れて冒険者紛いの事をするようになり、色々と差し入れを持ってくる事が出来る様になってからは大したことを言わなくなったが、父の鎮静化に反比例して兄嫁からの風当たりは強くなっているような気がする。
 いわくヤクザな商売をしていては嫁に行き手がなくなる、いわくいつまでも続くものではないから早く落ち着いた方が良い、いわく冒険者で稼げるなどという間違った幻想を持ち込まれては子どもが妙な気を起こす……なにやかにやと喧しい。
 そこそこに稼げるようになってからは相当な差し入れもしているのだが……結局は農民の水準からみれば上等な服を着、高価な武具を身に付け、宿屋を使うなど十分裕福に見える冒険者が羨ましいのだろう。
 それらの事情を理解出来ないわけではないので、マリカは母の恐る恐るの申し出を受けようとはしなかった。
「今日はたまたま知り合いのキャラバンから掘り出し物を払い下げて貰えたから来ただけだから。早く戻らないと、明日の仕事に差し支えるしね」
「そう……なの?」
 残念な気持ちと安堵する気持ちの入り混じった母の表情に気付かない振りをしながら、マリカは立ち上がってパタパタと革の削りカスを払った。
 フスタのプリーツを整えながら、下を向いている間にいつもの屈託のない笑顔を選ぶと、母に向かって顔を上げた。
「ちぃ兄さんに頼まれた革紐も出来たし、もう帰るよ」
 そう。
 ここはもうマリカの家ではないのだ。
 両親にも、一番上の兄であるおぉ兄さんにも、一番自分を可愛がってくれる次兄、ちぃ兄さんにももう頼る事は出来ない。
 両親はもう老いにさしかかっており、おぉ兄さんにもちぃ兄さんにも新しい家族がいる。
 養ってもらう事も、持参金を貰って嫁に行くことも無理な相談だ。
 マリカは、自分の力で運命を切り開くしかないのだ。
「そう……。父さんの痛風はひどくなる一方だし、ロバがいるとすごく助かるよ。本当にありがとうね」
 自分の手を取って涙を流す母に、マリカは革紐の束を渡し、ついでにこっそり金貨を数枚握らせた。
「マリカ……」
「しっ……何も言わないで」
 いつの間にかひっそりと戸口の陰に立っている兄嫁に気付き、マリカは声を潜めた。
「義姉さんにはナイショだよ。なにかとへそくりが必要でしょう?」
 ぱちり、とウィンクするとぶんぶん彼女は母の手を振る。
「ちぃ兄さんに渡しておいてちょうだい。そのうちウサギのシチューでもご馳走してねって言っておいてね」
 娘の意図を理解した母も、うっすら浮かんだ涙をそっと拭いながら明るく笑ってくれた。
「お前は本当に美味しい物が好きだねえ。次マリカが来る時は、太ったウサギを取っておくように言っておくよ」
「うん!……義姉さんもまたね!今度は安い雌鶏でも探してくるよ」
 戸口の方に向かってマリカが小さく手を振ると、ばつの悪そうな顔で兄嫁が姿を現した。
「あら、帰るの……。雌鶏は卵を産めるようなのにして頂戴ね」
 それでも精一杯尊大に振る舞う兄嫁に、マリカはやっぱり明るい笑顔を返した。

     ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「う〜え〜を○〜〜い〜て♪ あ〜〜○こう〜〜よ♪ な〜み〜○〜が♪ ○〜ぼ〜れ〜な〜い〜よ〜〜△に♪」

 子どもの頃、何度もフォールクレストの町に収穫物を納めるために荷車を押して通った道……。
 満天の星空の下、ネンティア川沿いの道をマリカは元気に歌いながら歩く。
 確かに幸せな生まれとは言えないかもしれない。
 アルセイド……という姓はかつて森の中で暮らしていた誇り高い人々の物だったと聞いたことがある。
 その末裔がどうして農奴よりはちょっとマシという程度の貧農に甘んじているのか、そのあたりの事情も全く分からない。
 わかっているのはこの空の下マリカは頼る何者をも持たず、その代り自由に立っているという現実だけだ。
(……さあ、明日も元気に歌おう。そして何か仕事を探そう。
 きっと何処かにわくわくするような冒険が待っている。
 あ、ドーヴェンさんのところにも顔を出してみよう。
 最近色々な新顔さんもいるし、きっと何かがあるはず!)

「し〜あ〜わ〜△は〜く〜も〜の〜う〜え△〜〜ぃ♪△〜あ〜わ〜せは〜△〜ら〜の〜う〜□に〜〜ぃ♪」

 綺麗なマリカの歌声は、涼しい川面の風と共にフォークレストの町の喧騒の中へと消えて行った……。

                   〜〜了〜〜





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