人の居場所
白鷺亭での生活がはじまった。

朝は5時起床。
店内を一通り清掃してから仕込みを行い、6時30分には開店する。
「朝食は1日の活力の元。 活力の元は白鷺亭で!」

合い言葉のようにおかみが言いながら、手際よく作業を進めて行く。
無論、翠鳳も朝は早い。 
人数が増えたからといって手抜きをしない2人の働きによって、白鷺亭の店内はより清潔になり、メニューも増えた。
「あんたの故郷の料理ねぇ。 へぇ〜、変わっていて面白いじゃないか。 ちょっと辛いものが多いようだけど。」
「唐辛子は適度な量であれば、体調を調える作用があります。 今回は、健康によいものを厳選してみた次第です。」
「カタい!」

ここに住み込むようになって以来、何度もいわれつづけている言葉だ。
「もうちょっと柔らかく! あんた、ちょっと好きな人の事でも思い浮かべてみな!」
「はっ、それは家族の事でしょうか?」
「…まったく、これは難物だわ。 ここに来た時には、柔らかくも話せたじゃないか。」
「しかし、今は正式な労使の関係でありますので…。」

言葉の途中、おかみの手によって口を塞がれる。
「じゃあ、家族! そう、今日からあんたはうちの娘だ。」
「そ、そのような…」
「いいや、決めた。 あたしはアンタを気に入ったんだよ。 言葉も仕草も固いが、あんたは真面目でガンコでおっちょこちょいに違いない。 あたしはそういうのが好きなのさ。」
「は、おっちょこちょいとは何でしょうか。 喜んでよいのですか?」
「ばーか!」

「まぁ、おっちょこちょいはともかく、家族は賛成だな。 君さえよければね。」
「私が…家族?」
普段は無口なロンバルトが厨房の奥から発した言葉に、戸惑いの表情が浮かぶ。
「そう。 あんた母親に甘えたことはないのかい?」
「はっ。 母は早くに亡くしております。」
「そっか、ゴメン。 へんなことを聞いちまったかね。」
「いいえ、事実ですので問題ありません。」
少々ずれている答えだったが、老夫婦としては先に気まずいことを聞いてしまった負い目から、それ以上の追求はできなかった。

翌日、市場に買い出しに出かけた翠鳳に、白鷺亭の常連客から声がかかる。
「白鷺亭のねーさん、ほい、これ。」
声と同時に放り投げられた白菜を、受け取り、瞬きをして声の主を見遣る。
たしか、野菜売りのルロイと言う青年だったか。
「注文はしておりませんが。」
「やだなぁ、サービスだよ、サービス! 今日のメニューに使ってよ。」

首をかしげる。
「なぜ、私にこんなに良くしてくれるのですか?」
「そうだなぁ。 たとえば、今首をかしげる前、ちょっと嬉しそうな表情をしただろ?」
そうだっただろうか? と再び首をかしげる翠鳳に、ルロイが続ける。
「その表情が見たかったんだよ。 うちにとっても常連さんの笑顔は最高さ!」

このフレイドの人達は何故こんなにも優しいのか。
相談する翠鳳に、アイナが答える。
「それは、簡単だよ。 アンタがここにいるのが嬉しいのさ。 そしてこれからもここにいて欲しいんだ。」
「それは、なぜ?」
「さぁ。 人を気に入るかどうかはその人次第だろ? でも、気に入った相手にならそうするんじゃないかな。 くどいようだが私もあんたを気に入っているよ。」

人は、人を信頼し、信頼されることで自分の居場所を得る。
信頼している相手には、自然体で接することが相手に居場所を与える事でもあると言う。
これはロンバルトの言葉だ。

「私の自然体…か。 思うようにやってよいのだろうか。」
兄と話す時のように。
村の友人と話す時のように。
やってみようか。 
やってみよう。

老夫婦は自分に居場所を作ってくれた。
自分も誰かに居場所を作れるのかもしれない。
その夜は、自室の窓から夜の町を眺めながら、少し暖かい気持ちで眠りについた。

翌朝。 
朝日が射し込む前から、白鷺亭の住み込みは元気だった。
伸びをしながらながら厨房にやってきたおかみに声がかかる。
「おはようございます、おかみさん。」
そして微笑。
嬉しそうなおかみの表情が、朝日に輝いた。
次のエピソードへ続く。