■人の居場所■ |
白鷺亭での生活がはじまった。 朝は5時起床。 店内を一通り清掃してから仕込みを行い、6時30分には開店する。 「朝食は1日の活力の元。 活力の元は白鷺亭で!」 合い言葉のようにおかみが言いながら、手際よく作業を進めて行く。 無論、翠鳳も朝は早い。 人数が増えたからといって手抜きをしない2人の働きによって、白鷺亭の店内はより清潔になり、メニューも増えた。 「あんたの故郷の料理ねぇ。 へぇ〜、変わっていて面白いじゃないか。 ちょっと辛いものが多いようだけど。」 「唐辛子は適度な量であれば、体調を調える作用があります。 今回は、健康によいものを厳選してみた次第です。」 「カタい!」 ここに住み込むようになって以来、何度もいわれつづけている言葉だ。 「もうちょっと柔らかく! あんた、ちょっと好きな人の事でも思い浮かべてみな!」 「はっ、それは家族の事でしょうか?」 「…まったく、これは難物だわ。 ここに来た時には、柔らかくも話せたじゃないか。」 「しかし、今は正式な労使の関係でありますので…。」 言葉の途中、おかみの手によって口を塞がれる。 「じゃあ、家族! そう、今日からあんたはうちの娘だ。」 「そ、そのような…」 「いいや、決めた。 あたしはアンタを気に入ったんだよ。 言葉も仕草も固いが、あんたは真面目でガンコでおっちょこちょいに違いない。 あたしはそういうのが好きなのさ。」 「は、おっちょこちょいとは何でしょうか。 喜んでよいのですか?」 「ばーか!」 「まぁ、おっちょこちょいはともかく、家族は賛成だな。 君さえよければね。」 「私が…家族?」 普段は無口なロンバルトが厨房の奥から発した言葉に、戸惑いの表情が浮かぶ。 「そう。 あんた母親に甘えたことはないのかい?」 「はっ。 母は早くに亡くしております。」 「そっか、ゴメン。 へんなことを聞いちまったかね。」 「いいえ、事実ですので問題ありません。」 少々ずれている答えだったが、老夫婦としては先に気まずいことを聞いてしまった負い目から、それ以上の追求はできなかった。 翌日、市場に買い出しに出かけた翠鳳に、白鷺亭の常連客から声がかかる。 「白鷺亭のねーさん、ほい、これ。」 声と同時に放り投げられた白菜を、受け取り、瞬きをして声の主を見遣る。 たしか、野菜売りのルロイと言う青年だったか。 「注文はしておりませんが。」 「やだなぁ、サービスだよ、サービス! 今日のメニューに使ってよ。」 首をかしげる。 「なぜ、私にこんなに良くしてくれるのですか?」 「そうだなぁ。 たとえば、今首をかしげる前、ちょっと嬉しそうな表情をしただろ?」 そうだっただろうか? と再び首をかしげる翠鳳に、ルロイが続ける。 「その表情が見たかったんだよ。 うちにとっても常連さんの笑顔は最高さ!」 このフレイドの人達は何故こんなにも優しいのか。 相談する翠鳳に、アイナが答える。 「それは、簡単だよ。 アンタがここにいるのが嬉しいのさ。 そしてこれからもここにいて欲しいんだ。」 「それは、なぜ?」 「さぁ。 人を気に入るかどうかはその人次第だろ? でも、気に入った相手にならそうするんじゃないかな。 くどいようだが私もあんたを気に入っているよ。」 人は、人を信頼し、信頼されることで自分の居場所を得る。 信頼している相手には、自然体で接することが相手に居場所を与える事でもあると言う。 これはロンバルトの言葉だ。 「私の自然体…か。 思うようにやってよいのだろうか。」 兄と話す時のように。 村の友人と話す時のように。 やってみようか。 やってみよう。 老夫婦は自分に居場所を作ってくれた。 自分も誰かに居場所を作れるのかもしれない。 その夜は、自室の窓から夜の町を眺めながら、少し暖かい気持ちで眠りについた。 翌朝。 朝日が射し込む前から、白鷺亭の住み込みは元気だった。 伸びをしながらながら厨房にやってきたおかみに声がかかる。 「おはようございます、おかみさん。」 そして微笑。 嬉しそうなおかみの表情が、朝日に輝いた。 |
次のエピソードへ続く。 |