丘の白鷺亭
砂漠の都市、フレイド。

多くの人々が行き交う大通りには細かな砂が舞い、衣服の端々に付着する。
初めのうちはしきりに払っていたが、きりがない事に気づいてからはそれも止めた。
緑と水の故郷とは異なる、石と砂の町。

「まずは、兵舎に行ってみるべきだろうな。 戦時下である以上、兵の募集はしているだろう。」
端正な顔立ちを引き締め、『武人』として引き締めた口調でつぶやく。
兵舎の位置はすぐに分かった。
戦時下である以上、物や人の流れは軍の設備へ流れるものが多くなる。
それらをたどっていけば、すぐに物々しい雰囲気の建物に行き当たった。
建物の前は新たに徴兵された者や志願の者で溢れかえっている。
志願者の中にも一般人と思しき者が多く、いかに戦時下の経済が厳しいものとなっているのかが分かろうというものだ。

「意外と、混んでいるな。」
彼女は人ごみが苦手だった。 できるものならば、あの中には入りたくない。
「明日の朝、出直すとしようか。」
踵を返し、大通りへと進む。 
考えてみれば、ここまで砂漠を旅する中で水を使いきっており、喉がカラカラだ。
兵舎に行くにしろ、宿舎をさがすにしろ、落ち着いてからでも遅くはない。

水を求めて町中を歩くが、故郷ではそこかしこにあった井戸はどこにも見当たらない。
「やはり、ここでは水も有料。 か。」
ふと目に付いた大通り沿いの食堂の、砂に晒されて色落ちした扉をくぐる。

「いらっしゃい!」
くたびれた外壁とは対照的な、古いながらも清潔な店内におかみの明るく大きな声が響いた。
「すまないが、水と、何か軽い食事を頼む。」
2人がけのテーブルに座り、外套をもう片方の椅子にかけながら注文する。
「はい、それじゃあ水と、それからパンとサラダでも用意しましょうか。 ライスもあるけれど、どっちがいい?」
「パンを。」
「はーい、あんた、注文だよ〜!」
店の奥にいるであろう相方に声がかかる。

先に出された水はかすかに柑橘類の味がして、疲れた体に心地よかった。
店内を見回すと、自分が座っている他に5つのテーブルがあり、カウンターには5人が座れるようになっている。
昼下がりということもあって他の客の姿はないものの、不思議と閑散とした雰囲気を感じなかった。
この店に宿る『気』は活気に満ちており、時間になれば客で賑わう事は想像に難くない。
この水の出し方といい、店主の気配りの行き届いた店であることが分かる。

ふと視線を戻すと、ちょうどおかみが料理を持ってくるところだった。
「はい、翠の髪のお客さん、お待たせ!」
「あ、ああ。」
食事を置いた後も、おかみは人好きのする表情で話しかけてくる。
「その髪と肌の色。 あんた、砂漠の人じゃないね?」
「ああ。 私の名は翠鳳。 ここからは遠い村の出身だ。」
「へぇ、その話し方、軍の人?」
「いや、まだだ。」
「ああ、なるほど。 これからってことね。 遠い所の武人さんというわけだ。」
「そんな所だ。」

おかみが運んできた料理は素朴だったが、新鮮な食材を使った暖かみのあるものだった。
この、素朴だが暖かみのある料理を、翠鳳は気に入った。

翌日から、翠鳳はこの店の常連になっていた。
兵舎で登録を済ませ、3人部屋を与えられたが、流石に男性2人との同室は抵抗があり、今は近くの宿に滞在している。
どうせすぐに戦場暮らしになるのだし、借家を借りる気にはならない。
初めに泊まった宿は食事付きだったが、どうもそこのしなびたサラダや何度温めなおしたか分からないスープには馴染めず、食事無しの所に移動した。
本来ならば自炊できれば良いのだが、借家ならぬ宿暮らしでは無理な話で、食事は専らこの店でとっている。

「うちは、安くて旨いのが自慢だからね!」
そんなおかみの言葉が食事をより美味しいものに感じさせる。

おかみは、常連となった翠鳳に様々なことを話し、聞いてきた。
まず、店の看板は古く、汚れてしまっているので今では読むことが出来なくなっていたが、『丘の白鷺亭』という名前らしい。
また、彼女は翠鳳の表情と言葉づかいに違和感を覚えている風ではあったが、それを口に出すことはなかった。 
それに気づいた翠鳳が「私は、武人だからな。」と説明すると、
「あんたには、他の話し方のほうが似合うと思うよ。」と、にやりと笑ってみせた。

ある日、いつものように時間をずらして食事をとっていると、旅の商人らしき一団が白鷺亭へやってきた。
彼等でほぼ満員となった白鷺亭に、男達の声がうるさいほどに響く。
既に酒を飲んでいるのか、彼等はみな大声で話し合い、矢継ぎ早に注文を伝えてくる。

「あんた、今日は暇かい?」
おかみが居場所を失った翠鳳に顔を近付ける。
「出撃命令がなければ。」
「なら、給金ははずむから、手伝ってくれおくれ。 頼むよ。」
突然の依頼だったが、ちょうど店主のロンバルトは買い出しに行っており、不在である。
困っているおかみを放ってもおけなかった。
「…わかった。 何をすれば良い?」
「やっぱり、あんた話せる人だね。 じゃあ、このエプロンを着て…」
「承知。」
「私が料理を作るから、注文とって…」
「承知。」
「あー、言葉づかいは柔らかく。」
「何と?!」
「だって、相手はお客だよ、お客。 粗相は駄目よ。」
「了解…。 いや、分かりました。」
「そうそう。 やっぱりあんたはその話し方の方がいいよ〜。」
「そうですか? では、注文をとってきますね。」
「…」
途端に雰囲気を変えた翠鳳の言葉に、一瞬おかみが沈黙する。
「なにか?」
「いや、あんた、本当はその話し方が普通なんだろ?」
「ええ。まぁ。」
「だったら、ここにいる時くらいは肩肘はらずに、普通にしてなよ。 そう…ここでは警戒しなくていいんだ。」
「おーい、注文まだぁ?」
心の内を見透かされたような言葉に、どう返事しようか迷っているうちに、客の催促の声が聞こえてくる。
「はい、只今!」

その日は、白鷺亭開店以来もっとも忙しい日となった。
開店以来の看板娘の噂に、付近の住民が集まってきたのだ。
中には野菜売りのルロイのように、にわかに常連客になる者も現われだす。

「あれあれ、うちはこんなに常連客が多かったかねぇ。」
「言っておくが…ますが、私はここの店員ではない。 …ですよ。」
明るい声で料理を作るおかみの声に翠鳳が続けると、店内から落胆の声が上がる。

「おかみ…さん、私がこうしていると迷惑になるのでは?」
「うーん。」
「されば、これで。」
エプロンを解き、退出しようとする翠鳳にアイナが声をかける。
「あんた、確か宿に泊まってるんだっけ?」
「いかにも。」
「あんた、実は暇なのキライだろ。」
「よくお分かりで。」
翠鳳は一瞬、アイナの目が光ったように見えた。

「じゃあ、あんたは軍の仕事がない時はここで働きなさい!」
「え?ええっ?!」
「空き部屋もある。 食事も出そう。」
「はぁ。」
「いやかい?」
「や、別にそんな事は…」
「じゃあ、キマリだ!」

突然の展開に目を白黒させている翠鳳を引っ張り出して客に紹介する。
「やっぱり、この娘には今日から働いてもらうことにしたよ。」
店内から歓声が響いた。

3日後、ロンバルトが注文した新しい看板が届いた。
夕日に輝く真鍮製の白鷺は、これからはじまる『丘の白鷺亭』の多忙だが暖かい日々を祝っているかのように、美しい輝きを放っていた。

おかみ「ホラ、目尻が高いと言うのに。」
翠鳳「だ、だから私は武人で!それにこれは生まれつき…!」

おかみに修正される翠鳳(笑)。
次のエピソードへ続く。