■旅立ち■ |
「この世の中には才能のある者と無い者がいる。 才能のある者は無い者よりも絶対的少数と思われているが、それは違う。 大半はその才能に気づいていないだけだ。 また、気づいていてもそれを高める努力を怠っているのだ。」 フレイド国の武人であった翠龍(ツォイロン)の口癖だ。 彼は若くして軍に入隊。 類稀な武術をもって幾つかの戦いで功を上げ、一定の評価を得た武人であり、いずれは将軍となることも期待されていたが、ある戦いで片足を負傷し、若くして引退している。 軍はそんな彼にフレイドの片田舎にある山を1つ与えた。 これは一介の士官にすぎなかった彼に対し、異例の処置と言える。 そして22年の歳月を経たその家には、子を鍛える親の姿があった。 「鈍い!何だその動きは! 刀(タオ)の一本も使いこなせぬか! よいか、刀だけ振り回したところで小枝一本切れはせぬわ! 刀は自分の体を中心とした円の動きで使うのだ!」 「は、はいっ!」 怒鳴られた方は裾がボロボロになった黒いシャツと、使い込んで一部擦り切れた白いズボンをはいている。 この娘の名は翠鳳(ツォイフォン)。 幼い頃より武人として一人前の人間に育てるべく、父翠龍が鍛えてきた娘で、今年で16になる。 翠龍にはもう1人、翠鳳とは4歳違いの兄がおり、そちらは既に戦場での生活に入っている。 その2人の父となった翠龍は今年45になるが、その力はいまだに侮れないものがあった。 いや、むしろ強くなったともいえる。 彼とその息子は14年前、ほんの偶然から、ある不思議な「能力」を手に入れた。 その「能力」によって、彼等の持つ刃からは炎がほとばしり、またその刃を地面に突き立てればその地面の周辺を灼熱の溶岩と化す事が可能となった。 その年は大きな戦乱があり、国中の田畑が荒れ、仕事にあぶれた者、兵士くずれなどの盗賊が大量に出現した。 ちょうど麓の村へ行っていた妻は、村を襲った盗賊と戦ったが善戦むなしく盗賊達に敗れ、負傷し、連れ去られた。 この知らせはすぐに翠龍のもとに届けられたが、片足が思うように動かせず、まだ能力も身に付けていなかった彼は、残った盗賊達から辛うじて村の破壊を食い止めることができたにすぎず、妻は遺体となって山腹の林で発見された。 翌日、盗賊団の根拠地となっていた山岳地の洞窟で、盗賊達の死体が発見された。 彼らのいずれもが体のどこかに切り傷を負った上、全身に火傷を負っていたが、もっとも奇妙なのは彼らの足が岩の地面に半分以上埋まっていた事であった。 この騒動の主である親子は洞窟へ向かう途中、何者かの声を聞いたのだと言う。 内容は全く覚えていないとの事だったが、激しく、太い声を聞いたその次の瞬間には2人は何事も無かったかのように元の場所に立っていた為、その場はお互いに気のせいと言う事になったが、盗賊団との戦闘になってすぐに自分達に起こった異変に気がついた。 彼らの振るう武器は燃え盛る炎に包まれ、刃を地面に突き立てれば岩が溶岩の様に変わっていったのだ。 当時2歳だった翠鳳は村人に預けられていた為、その事は後になって兄から聞いた。 兄はこんな事も言っていた。 「あの時、俺は心底怒りを感じていた。 思うに、あの炎は怒りの力を具現化したものではないだろうか。」 「怒り…か。」 家族以外の人間と殆ど会うことのない山奥で暮らしてきた翠鳳にとっては、怒りは縁遠い感情だった。 兄とケンカしても心底憎く思うはずもなく、また、父の厳しい修行にいたっては物心ついた頃からの日課になっている。 「できることならば、怒りなど覚えたくないものだ。」 兄は、15の誕生日に山を降りた。 自分も武門の娘である以上、戦場に出るのは当然と、昔父からよく言われたものだ。 そう、昔は。 父は自分を戦場に出すつもりはあるのだろうか。 それとも、ずっとこの地に居続けるよう、言うのだろうか。 それもいいかもしれない。 子供の頃から親しんだこの山で、季節の風の移ろいを感じながら静かに過ごすのも。 朝の稽古を終え、小川で顔を洗いながら彼女はそう考えていた。 彼女の日課は、日の出る前に起床。 1時間の武器を使った稽古の後、食事を作る。 昼は農作業の後、体術の稽古をしたり、書物を読んで、また食事を作る。 食事は1日2回だ。 夜になれば、夜間の戦いの訓練を行なう。 そうして、毎日疲れきって休むのだった。 そんな日々が更に2年続いたある日、買い物の為に久しぶりに村へやってきた翠鳳は思わぬ噂を耳にする。 『兄が死んだ。』 「ウソだ…。」 驚きのあまり、その噂の主を質問攻めにしたが、それ以上の収穫は何も無かった。 「そう、ただの噂にすぎない。 兄は強かった。 簡単に死ぬはずがない。」 そう自分に言い聞かせて足早に山の家に帰った翠鳳を、難しい顔をした父と、フレイドの軍人らしき人物が迎えた。 軍人はどうやら父が軍にいた頃の知り合いからの使いらしい。 彼が伝えにきた内容はこうだった。 先日のファレーンとの大規模な会戦で、兄は火薬を積んだ味方の小型船の爆発に巻き込まれ、全身に火傷を負って亡くなった。 と。 「翠鳳よ、戦うという事は、死ぬ事もまたあることなのだ。」 珍しく力のない口調でこう言った父は、裏の森へと歩いてゆく。 悲しむ姿は誰にも見せない。 軍人は、兄の形見を残していった。 それは、軽く反りの入った大型のナイフで、申し訳程度に細工が施されている。 決して名品ではないものの耐久性に富み、また扱いやすい武器として、翠鳳が兄に贈った物だ。 それが、このような形で返ってこようとは。 「武人は泣かぬもの。」 これも父の口癖である。 だが、翠鳳は守る事ができなかった。 ナイフの前に座り込んだまま動けない。 月が出て、星がきらめいてもまだ動く事はできなかった。 雲が月を隠し、夜の闇が深くなった時、ふと何かに呼ばれている気がした。 「にい…さま?」 射す光のない暗闇の中で、ナイフが鈍く輝いているように思えた。 それは、暖かいぬくもりを感じさせる光。 恐る恐る手を伸ばし、鞘に入ったそれを抜いた。 雲の間から再び月の光がのぞく。 刀身が鈍い光を反射しはじめる。 不意に光が強く輝いた。 「なっ…!」 光だけではなかった。それは炎。 刀身から立ち上る炎。 「同じだ…」 兄と。 父と。 だが、それは怒りではない。 悲しみでもない。 心の中に暖かい思いが満ちてくる。 炎は静かに彼女に語りかけてくるように、刀身を舞った。 「兄様、私も旅立つのでしょうか。」 そこに、何かが待っている。 「何かが…」 そして強くなる。 「強く、強く。 ただ力のみを求めるにあらず。」 これも、父の言葉だった。 明け方になって帰ってきた父に、彼女は旅立ちの決意を伝えた。 「旅に出る時期は自分で決めるものだ。 お前の兄もそうだった。」 「兄様も…」 「行くならさっさと行け。 但し、一人前の武人になるまで”帰る”のではないぞ。」 「はい。」 「もうひとつ! そんなボロボロの服で行な。 これを持ってゆけ。 お前の母が使っていたものだ。」 「これは…こんな長いものを着て戦えと?」 それは、赤のラインが入った、袖付の白い武道着、同じく赤いラインの入った白いスカート、それに青の胴布であった。 これまでずっとボロボロの稽古着や、粗末な服で過ごしてきた自分には今一つ馴染みの無い物のように思える。 「どんな時でも美しく。 それがお前の母の信念だったぞ。」 山奥で育ち、男手で育てられた彼女にとって、それがどういうものかは理解しがたいものであったが、 母の使った物、と言われると嬉しかった。 山脈の間からまぶしい光が差し込み、旅立ちには最良の日であることを告げる。 目的地はフレイド。 そこへ行って、まずは軍に参入する事だ。 それに、兄の死を看取った者がいるかもしれない。 件の船に直接乗り込んでいた人物は、「ブラッド」と呼ばれる人物で、凄腕の戦士と聞いている。 全身に無数の傷を負いながらも、見事に敵に打撃を与え、今なお存命とのこと。 「兄様の話も聞けるかもしれない。」 そう思う気持ちが、自然に歩調を早めるのであった。 |
次のエピソードへ続く。 |